私が出会った数え切れない悲しみと新生への希望・・・・

12.シバトゥ村へ 〜テント学校に通う子供たちの家〜

 翌日、私は昨日約束した子供たちの家があるシバトゥ村へ向かいました。
 あのテントの学校から歩いて2時間の村でした。
子供たちはそこから往復4時間もかけて毎日学校に通っていたのです。
 途中、牛追いのお手伝いをしている男の子に会いました。彼の目がなんだか淋しそうだったので、
私は車を降りて話しかけてみました。
「学校には行かないの?」
「お父さんが学校に行きたいって言ったんだけど、行かなくていいって・・・・・・」
 そう言って男の子はうつむきました。
 そうです。すべての子供たちが学校に通えるというわけではないのです。子供も貴重な労働力
として働かざるを得ない家庭の事情があるからです。
 少年は「ねえ、僕の牛みてよ」と私の手を握り、放牧している牛たちの方へ連れて行って
くれました。彼の手は、まだ幼いのに、固くてひび割れていて真っ黒でした。
 私はその手をしっかりと握りかえし、「きみが牛を追う姿を見たいな」といってみました。すると、
彼は、「うん!」と喜び勇んで走って行き、大人顔負けのたくましい牛追い姿を誇らしげに見せてくれたのでした。
「立派だよ、タシャクール!(ありがとう!)」この少年にたくさんの幸せが待っていますように。そう
願いながら、私は少年に別れを告げました。

 道すがら、少年たちが集まってサッカーをしているのが見えました。みんな、ボロボロの靴で、黒い
部分が剥げ落ち、白色だけになったサッカーボールを蹴っていました。
 アフガニスタンの子供たちは元来サッカーが大好きです。しかし、タリバンはスポーツすべてを禁じ、
カブールにある国立サッカースタジアムを処刑や見せしめの刑罰の場所として使っていたのでした。タリバン
政権が去ったあとも、地雷がどこに埋まっているのかわからないため、ボールを追って自由に野原を
駆けまわることができないのです。しかし貧困によって、ボールを持っている子供もごくわずかというのが
現状なのです。

 車は、シバトゥ村がすぐ近くに見える小高い岡に着きました。
 学校がそろそろ終わる時間だと聞いていましたので、私は車を降りてここで彼らを待つことにしました。
 すると、遠くから子供たちが列になって帰ってくるのが見えます。
 遠くから私たちの車に気づくと、みんな何か大声をあげながら一目散に笑顔で走ってきました。
「来てくれたのね!」
 そう言って子供たちがワタシの身体に飛びついてきました。
「約束だもの!」
 私は彼らをかわるがわる抱きしめました。
「私たちの村に来て」と、子どもたちは私の手を引きました。
 その岡から急な坂を下ったところに、土と泥で作ってある集落がありました。
 この村にも戦乱の傷跡は残っていました・・・・・。
多くの家の壁には焼き払われたあとが残り、屋根もほとんどありませんでした。木に布のようなものを
かぶせて、屋根の代わりにしているのでした。
 幼い子どもが赤ちゃんを抱いて世話をしている姿も多く見られました。
「サローム!」
 村人たちは、突然やってきた、言葉も宗教も文化も違う異国から来た私を、温かく歓迎してくれました。
 私の後をぞろぞろとついてきて、みんな「うちにおいでよ!」と誘ってくれます。
 小さな村で何をするでもなく、みんなで手をつないでワイワイとそぞろ歩いた時間がほんとうに
楽しく感じられました、
 すると、ふと、いつもくったくなく笑っていたマルジアが、ずっと右手を隠していたことに気がつきました。
旅の途中で教えられた、あのおもちゃでカモフラージュされた地雷が彼女の指を奪ったのだと、だれかが
教えてくれました。

 この国では悲しく、切ない物語ばかりと出会ってきた私にとって、学校やこの村でであった屈託のないまっすぐな
子供たちの笑顔は大きな救いでした。でも、その心の奥にはやはり、どうしようもなく深い悲しみが潜んでいるのだと
いうことを、私はこの時、思い知らされたのです。

 マルジアが左手を差し出し、「お紅茶を出すので、おうちに来てね」と招待してくれました。
 マルジアの友だちのロイラといっしょに、私は彼女の家に行きました。
 マルジアの家にはお人形の一つさえありません。狭い土間にカラフルな布が敷いてあるだけの質素な家です。
「お兄ちゃんはまだおうちのお手伝いから帰ってこないの」とマルジアは笑顔で言うと、紅茶を
出してくれました。
「ここのお水は衛生上、良いとはいえないので、何か出されても飲まない方がいいと思います」と
来る前に言われていたけれど、自分たちの分さえままならない貴重な水を使って彼女がいれてくれた紅茶は、
温かくいい香りがしました。
「ほんとうににありがとう。いただきます」

 楽しい時間はいつも早く行き過ぎます。別れの時間が近づきました。
「いつもこうやって来てくれたら嬉しいのだけど!」
 無邪気に笑うマルジア。そして、「もう私たちはお友だちでしょう?」と私に問いかけます。
「うん、そうだよ。お友だち」
「じゃあ、何か約束しよ!お友だちのお約束!」と目をクリクリさせてマルジアは言います。
 私は日本の指きりげんまんを彼女たちに教えました。
 そのとき、初めて彼女は右手を出しました。その手には中指と薬指と小指の先がありませんでした。彼女は
短い小指を私の小指にからめ、指きりげんまんの歌を唄う私の顔を見て満足そうに笑っていました。
 陽はすでに傾いていました。
「もうさよならの時間なの・・・・・・」と切り出す私。
「泊まっていって!」とマルジア。ロイラもうなずく。
「明日の朝もお紅茶出すので、今夜はぜひ泊まってほしいです・・・・・」
 そういう彼女たちのまっすぐな優しさが心にしみました。
 しかし、私が泊まると"外国人が泊まった家"としての噂が広がり、お金をたくさんもらったのではないか
と疑われ、盗賊がやってきたり、"誰々のおうちにだけ泊まった"ということで、学校でいじめられたりすることが
あると、現地の事情に詳しいスタッフに聞いていましたので、受けることはできません。
 辛い気持ちで「ごめんね。帰らなくてはいけないの」という私を、潤んだ4つの瞳が見つめます。
(ああ、ダメだ・・・・・。このまま、この子たちの目を見ていると、「うん・・・・・泊まるね」と言ってしまう。
この子たちに迷惑はかけられない)
 胸の奥から、別れの寂しさ、彼女たちへの愛しさ、たくさんの思いが込み上げてきました。思いを断ち切ろうと
「クダハフィス(さよなら)」と言い、もう一度指きりをすると、私は外に出ました。
 振り向くまいと、いっきに坂を駆け上がりました。
 坂を上がりきった時、後ろから私を呼ぶ声がしました。見ると、村の子供たちが坂を駆けてくるのが見えました。
(もうダメだ・・・・・)
せっかく吹っ切った想いが、涙となって溢れ出てきました。
 子供たちの前で涙は見せまいとあんなに誓っていたのに・・・・・。
 子供たちが私に追いつくなり、私はみんなを抱きしめました。
 すると、私の顔を見て子どもたちは「カンダクゥ!」「カンダクゥ!」としきりに言うのです。「泣かないでって、
笑顔でねって言っているの」とニルファが言いました。
(そうだ。この子たちがこんなに笑っているのに、私は何を泣いているんだろう)
 子供たちを励ますつもりで来たはずが、いつの間にか子供たちに励まされてしまっていました。
「最後にまた写真撮って!」と子供たちがせがみます。
 気がつくと、美しく真っ赤な夕焼けが子供たちの頬をピンク色に染めていました。
 この当たり前の瞬間がとても貴重に思えました。
 それぞれの瞳は、今、この瞬間を生きていることの喜びで輝いていました。
「はい、チーズ!」
 この時撮った写真が、この写真集の表紙なのです。
 伝わるでしょうか、子供たちの喜びが。
 この子供たちの清らかでまっすぐな心が。
 そして、その心の奥に焼きついている恐怖が。
 この子たちは悲劇を乗り越え、きっと平和な国を築き上げると私は信じています。

 土埃をあげて車は走り出しました。
「カンダクゥ! クダハフィス」と、私は車の窓から身を乗り出し、走りながら手を振る子供たちに向かって叫ぶ。
「カンダクゥ! クダハフィス」
「カンダクゥ! クダハフィス」
 笑顔で、笑顔でさようなら・・・・・。
 お互いに見えなくなるまで手を振り続けました。
 やがて車内に沈黙が流れました。みんなそれぞれの思いにふけっているのです。
 別れたばかりなのに、思い出が次々と蘇ります・・・・・。
―「日本に行きたい?」と両親を失った子供たちに先生がたずねた時でした。子供たちは一様に首をふり、
「ここにいるの。この国が好きだから」ときっぱりと答えたのです。
 私はそれを聞いて本当に嬉しく思いました。
どんなに辛く苦しくても、子供たちはこの国を大切に思っているのです。そのことを思うとわけもなく嬉しくて、
また泣けてきました。
 そのたびにまた思い出す、「カンダクゥ! クダハフィス」。
 私はニルファに「この国が大好きになったよ・・・・・」と言いました。
 この国で生まれ、この国で育ったニルファは「ありがとう・・・・・」と涙声で応えました。

 人の心に刻み込まれた思い出は消えない。私はそう信じています。
 この乾いた土地で懸命に生きる子供たちとの出会いを、私は一生忘れません。
 来てよかった。
 本当に来てよかった・・・・・。
 いつの日かまた会えるよね、みんなの笑顔に。

 ―カンダクゥ! クダハフィス―

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