私が出会った数え切れない悲しみと新生への希望・・・・

4.カブールの街で・・・・・

 アフガニスタンの人口は約2500万人と言われています。
 その歴史はまさに戦争の歴史で、ソビエト軍が侵攻したり、反政府ゲリラによる内乱が起こったりと、何十年もの間、戦火の絶えることはありませんでした。これは、大小合わせて10を超える民族が共に暮らす多民族国家であるということと、宗教上の対立が大きな原因となっていたのです。
 そのため、国民の10人に1人が命を落とし、3人に1人が難民になったといわれています。
 首都カブールは、戦火のたびに争奪戦が繰り広げられ、そのつど、国際援助団体が再建してはまた破壊されるといったことが繰り返されてきました。
 現在も多くの援助団体が活動して着実に復興が始まっているとはいえ、完全な復興までまだはるか遠いのが現状です。
 かつてアフガニスタンにも平和を謳歌する時代がありました。
 1970年代、“パリのシャンゼリゼ通り”のように栄えていたという高級住宅街が立ち並んでいたダールラマン通りを歩きました。現在はいたるところに生々しい戦乱の傷跡が残る、見るも無残な廃墟の町並みと化していました。今にも崩れ落ちそうな建物も珍しくありませんでした。それはこの場所に起こった悲劇を物語っていました。聞けば、この通りを挟んで、激しい銃撃戦が繰り広げられたのだそうです。
 民家だったであろうその廃墟の一つを見ると、爆弾痕の大きい穴が屋根に開いていました。
“伝えなければ・・・・・。アフガニスタンのこの現状を撮ろう。うまいへたの問題ではなく、自分の撮影した写真は人々の眼差しをこの国に向けるのに少しは役に立つかもしれない・・・・・”
 そう思った私はシャッターを押し続けました。
 すると、「壊れている建物には近づかないで!爆発物が残っているかもしれないので気をつけてください」と、S.C.Jのスタッフから厳しい言葉が飛んできました。
「すみません・・・・・」
 私は夢中になるあまり、危険地帯に近づき過ぎていたのでした。

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