私が出会った数え切れない悲しみと新生への希望・・・・

9.バーミヤンにて

 カブールから悪路を250キロ。13時間かけて、なんとか日が暮れる前にバーミヤンに到着することができました。
 ここには宿泊施設がないため、S.C.Jの宿泊所をお借りしました。
 壁も床もすべて土でできた、狭い部屋でしたが、ありがたく、とてもホッとしました。
 一日中車に揺られ、バウンドしていたので、体中が痛みました。服を脱ぐと、青あざがたくさんついていました。
 カップ麺をいただくと、疲れきった身体を寝袋に包み、私はすぐ眠りに落ちました。

 遠い昔、シルクロードの要所として栄えたバーミヤン。かつてここは三蔵法師も立ち寄った仏教の一大中心地でした。しかし、繰り返される外国からの侵略や民族紛争によって、今はその面影はありません。
 それでも変わらないのは自然と共にある人々の営み。
 ここの雄大な風景を見ていると、この土地がタリバンとハザラ人武装勢力との戦場となり、凄惨な陣地の取り合いの末に村々の建物は徹底的に破壊され、地雷が数多く埋められたという話が、まるで嘘のように思えてきます。
 しかし翌朝、近くの村を見た私はそれが現実だったのだと思い知らされることになるのです。
 その村はすでに“さら地”同然になっていました。
 生き延びた村人はこう言いました。
「タリバンは村人を殺し、家を焼き、おまけに村全体をブルトーザーでめちゃめちゃにしていったんだ。もし村人が生きて帰ってきても、二度とそこに住めないようにしていったんだ」
 自分と違う種族、宗教、顔、考え方などを持つ人間に対しては、住居や経済活動を徹底的に破壊し、たとえ女性や子供ですらも未来の敵として無慈悲に殺してしまうなんて・・・・・。

 バーミヤンの石仏遺跡あとを見に行きました。高校生の頃、世界史の教科書で見たあの貴重な文化遺産は、跡形もなく破壊されていました。
 私には、爆破されたあとのぽっかり空いたその場所が、まるで大きな棺桶のように見えました。
 横穴から上に続く階段を見つけました。私は狭くてひびだらけのその階段を上り続けました。すると、そこには素晴らしい景色が待っていました。
 眼下には、世界最古の農業地だったというバーミヤン渓谷の美しい大地が広がっていました。
 この美しい自然は長い間、この地で繰り返されてきた多くの悲劇を、ただ静かに見守って来たのです。
 その岩山に残されていたのは、6世紀から9世紀にかけて各地からやってきた僧侶たちが、修行のためにこもり、瞑想にふけったと言われている洞窟でした。中に入ると、ひとつひとつの窪みに掘られていた仏如来像の顔の部分だけが、すべてナイフのようなもので削り取られているか、銃で撃たれていました。すべてタリバンの手によるもので、その狂信的な信仰が残した爪あとに足がすくみました。

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